関 真理

家族:夫、一女一男

私は北海道の東端、根室市で生まれました。

両親は「音楽が生涯の楽しみになれば」という思いで、私にピアノを習わせたようです。
楽器経験のない両親でしたが、父の好きなクラシック音楽や母の好きな映画音楽・ポップスがいつも流れている家庭でした。

3歳半でヤマハ音楽教室に入り、父の転勤で6回の転居。
音大入学までに師事した先生方は7名です。

母は転居の度にヤマハ楽器店に電話して、こう言いました。

「娘のピアノの先生を紹介してください。よい先生をお願いします!」(よい先生って?)笑

そのおかげか、ある先生には基礎を、ある先生にはフレーズ感を、ある先生には脱力して美しい音色をと、熱心に指導してくださる先生方とのご縁に恵まれました。
どの先生にも特長や人間的魅力があり、だからピアノを続けられたのだと思います。

音大では、声楽とクラリネットの先生にも鍛えていただきました。
ピアノ専攻以外の音大生は、入学するとまずピアノ伴奏者を探します。
声楽専攻とクラリネット専攻の友人に出会い、試験の度に両先生のレッスンを受けることができました。

初回レッスンでピアノしか知らない自分の狭さを思い知らされました。

声楽では豊かな感情表現が求められ、クラリネットではピアノも対等に主張します。
受け身だった自分が「もっと!」と先生方に内面を引き出され、練習する日々でした。

「教員免許だけは取っておこう」という気持ちで行った教育実習。

思わず口をついてでたジョークで笑いがおき、歌声が明るくなる!笑顔になる!
授業で起こる化学反応にも似た生徒たちの反応が嬉しく、新鮮でした。

「この場で自分にやれることがある!」

採用試験を経て中学校に赴任しました。

当時は「校内暴力」という言葉が徐々に聞こえ始めた頃でした。
純朴で素直な子が家庭環境に恵まれず、荒んでいく様子を目の当たりにしました。

子どもの育つ環境はさまざまですが、教育の場では平等です。
感動を知らないまま卒業させてなるものかと思いました。

出会いと別れを繰り返し、理不尽な思いもしてきた自分が希望を持ち続けられたのはなぜか・・・

「これがあれば生きていける」

と思う音楽の感動があったからです。

精一杯取り組んだ授業、式典、合唱コンクールや文化祭は、生徒たちとの感動の思い出となり、ピアノアトリエ・せきの土台となりました。

「幼い頃はどんな子だったのだろう」

問題行動をとる子たちも、ひとりひとりと話すと驚くほど素直で純粋でした。

ある男子生徒は、小学校の担任からの申し送りに問題児としてあがっていました。
家庭崩壊・親のネグレクト・不登校・学習意欲の低下・万引き・補導・シンナー・・・

授業中、机に突っ伏している彼を横目で見ながら

「13歳までどうやって生きてきたのだろう」

と思いました。

ある日、掃除せずに窓外をひとりでぼんやり眺めていた彼に声をかけました。

「何が見える?」

「別に・・・」

それから毎日のように掃除時間に一緒に外を眺めました。
斜に構え、すごむ目つきをする時は、とても13歳とは思えない彼ですが、ポツポツとりとめのない話をするにつれ、印象が大きく変わり、心根の優しさが見えました。

「そうなんだね」

と受動的に話を聞くきっかけをくれたのは、彼です。

問い詰めず、否定せず、同じ方向を見て受け止める・・・怒りや反抗的な態度の奥底には、深い悲しみがありました。
自分で環境を変えられない子どもにとって、過酷な現実がありました。

だんだん

「もっとひとりの子どもに長く関わりたい、幼児から見守り育てる場所をつくりたい」

と考えるようになりました。
家族でも親戚でもない、週に一度会う斜めの関係とでも言いましょうか・・・

ピアノを習うお子さんは家庭環境に恵まれていますが、子どもを取り巻く環境は近年大きく変化し、学校やそれ以外でのストレス、悩み、不安を抱えています。

ピアノを学び友にして、自分を癒し励まし、豊かな人生を送る手助けをこれからもしていきたいと願っています。